●なぜこの仕事を?
大学で芝居の演出ばっかりやってたんだけど、芝居では食べていけないですから、経済学をちゃんと勉強しようと、図書館に通い詰めて勉強した時期があったんです。勉強すればするほど「共産主義経済は崩壊する」としか思えなくなって「そうなったら、どんな商売をやるのがいいか」ということを真面目に考えたんですよ。その時にゼミの先生から「ベンチャーキャピタリスト(以下VC)」という職業があることを聞いたんです。起業家に出資して0から立ち上げる仕事だというので「これだ!」と思って。
●不安はありませんでしたか?
大学4年生の時に、VCの本場、シリコンバレーに行ったんです。事前に約束もせず、片っ端からドアノックして質問して回りました。「VCになるには何が必要か?」。すると「human
understanding is most important」って言うVCがいたんです。僕が「大学でシェイクスピアを演出していた」と言うと、「that,s
it」って言ってくれて。それで不安はなくなって、野村証券系の大手ベンチャーキャピタル、ジャフコ(当時日本合同ファイナンス)に就職したと。
●ジャフコでは素晴らしい実績を上げられていますね。
他の連中が親会社からの紹介会社の仕事をこなしたりしてるのを、私は「オリジナルで起業家に投資して、株式公開までもっていかないと世界には通用しないんだ」みたいなことを言って、0から掘り起こしていった。だから時間はかかるけど、14年間の会社生活の後半7年ぐらいは、やる仕事がどんどん成功していったんですね。
●なぜ独立を?
1995年のアメリカのネット企業、ネットスケープの株式公開を目の当たりにして膨らんでいた気持ちに、98年3月のイスラエル訪問で火がついたんですね。日本のVCはサラリーマン制でやってるわけ。アメリカ、イスラエルではプロがフリーでやってる。「これを日本でやらないとダメだな」と思って。イスラエルからの帰りの飛行機の中で、もう会社の名前を考えてました。
●ご苦労も多かったのでは?
個人がファンドを運営するという形を、当時は「日本では無理だろう」と言われたんです。だけど、日本でやらければ、世界に貢献するどころか、ついていきさえできない。その考えをいろんな経営者に説明して歩いたんです。そうしたら、昔ベンチャーの社長で成功した経営者たちが、すごい理解を示してくれて。今では合計で60億円ぐらいのファンドを運用するまでに成長してきました。
●これからの目標は?
世界に通用するVC事務所に育てていきたいですね。それから「徳島県出身で成功した人間」と言われたいです。今こうしてるのも、徳島県の海南町で育ったのが良かったのかなあと。ねばり強くやり通す性格はそこで生まれたと思うしね。
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