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会社沿革

昭和54年 3月
小松島漁協わかめ生産組合発足、わかめの加工販売始める
昭和60年 4月
株式会社新井フーズを設立、四国物産品の販売を始める
昭和61年 8月
本社を移転 ( 小松島市今開 ) 業務用外食食品卸業を始める
昭和62年11月
海産物(鮮魚部)を関連会社の(株)新井商事へ移す
昭和63年 1月
台湾塀栄実業有限公司 (PRC) と業務提携 寿司えび加工販売始める
平成 1年 7月
タイ (TBC) と業務提携 尾付むきえびの加工販売始める
平成 1年 10月
本社、倉庫を新築移転 ( 小松島市田野町 )
平成 2年 2月
フィリピン (IMP) と業務提携 寿司えび、尾付むきえびの加工指導を始め、販売する
平成 3年 8月
インドネシア (ATP) とブロックえびの加工指導と販売を始める
平成 4年 6月
中国広東省雷州市で、合弁会社168を設立、指導を始める
平成 5年 1月
中国産活〆Wスキンレス紋甲イカ、活〆はも、尾付むきえびの加工と販売を始める
平成 5年 9月
広東省菅仔鎮で第一工場として、加工始める
平成 6年 3月
広東省唐家鎮で第二工場として、加工始める
平成 6年 7月
広東省雷州市で第三工場として、加工始める
平成 7年 2月
契約切れで、菅仔第一工場を閉鎖する
平成 7年 9月
海南省八所市で第四工場として、活〆はも、白甘鯛の加工始める
平成 8年 8月
海南省海口市で第五工場として、白甘鯛の加工始める
平成 8年12月
八所第四工場の下請け業者とのトラブル発生により閉鎖する
平成 9年 3月
北ベトナムホンゲイで第六工場として、活〆Wスキンレス紋甲イカの加工を始め、
周辺の水産物と工場施設の調査をする
平成 9年10月
ホンゲイ第六工場を原料不足で加工中止する
平成 9年10月
広西省北海市で第七工場として、蛤の加工始める
平成10年 6月
福建省龍海市で黒豆枝豆(塩茹で)の加工始める
平成10年10月
海南省海頭鎮で第八工場として、活〆はも、活〆Wスキンレス紋甲イカ、白甘鯛の加工始める
平成11年11月
下請け業者(徳利水産、現在の広東省雷州市運源水産)の製品横流し、不良品交ぜ込みが発覚し、
第二、第五、第八工場を閉鎖する
平成12年 2月
海南省白馬井で第九工場として、活〆はも、活〆Wスキンレス紋甲イカ、白甘鯛の加工始める
平成12年 3月
海南省海口市秀英で第十工場として、活〆はも、野〆はもの加工始めるが、後、閉鎖する
平成12年11月
広西省北海市で第十一工場(祥富水産)を建設し、活〆はも、天然活〆車海老、シラサエビムキエビ、
活〆Wスキンレス紋甲いか、生蛤ムキ身、花蛤ムキ身、ジンドウイカ、ワタリガニの加工始める
平成15年 2月
海南省海口市秀英大道で第十二工場を建設し、活〆Wスキンレス紋甲いか、ジンドウイカ、
各種串刺し物の加工を始め、8月よりバナメイの活〆寿司エビの加工始める
平成16年10月
広西壮族自治区防城港市企沙鎮で第十三工場(新飛泰水産)の合弁工場を建設し、活〆はも、
野〆はも、活〆Wスキンレス紋甲イカ、天然活〆車海老、シラサエビムキエビ、白甘鯛フィーレの加工始める
平成17年 3月
海南省第九工場(生発水産)、第十二工場(華緑工場)は契約違反を繰り返す為、
契約期限が切れたので、契約を解除し、加工やめる
平成19年10月
海南省海頭鎮で第十四工場の合弁工場を建設し、活〆はも、野〆はも、活〆Wスキンレス紋甲イカ、
天然活〆車海老、白甘鯛フィーレの加工始める
平成19年11月
浙江省で真タコ生ロイン(塩洗い)の加工を始め、20年より、鮟鱇ブツ切り、活〆有頭穴子背開きの加工を始める
平成21年11月
山東省で、スキンレスサヨリフィーレの加工始める
平成22年 9月
福建省で、天然活〆車海老、養殖活〆鮑(養殖)の加工の打ち合わせ始める
平成22年10月
山東省で、活〆有頭穴子背開き、鮟鱇ブツ切りの加工を始める
会社役員
代表取締役会長
新井次郎
代表取締役社長
沖野 清 外国担当 営業総務全般責任者
常務取締役
泰地裕之 外国担当 営業本部長
非常勤取締役
沖野岩雄 水産業
理  事
新井慧子
監 査 役
樫谷保壽
監 査 役
高麗敬司 医院院長
年 商
14億2000万円(平成23年1月予想)