手塚先生とツーショットの写真。
もちろん合成ではありません。
本物です。






昭和六十二年の夏のある日、私は手塚先生の隣で阿波踊りを踊っていたのでした。
それはなぜか・・・・?
 話は一年前に遡ります。私はまだ大学生でした。その夏に、「とくしまマンガ博覧会」というものがあり、そこで我がサークルも同人誌を販売していたのでした。そこをたまたま通りがかった郷土漫画家の上田さんが私の絵を見て、「今時珍しい絵を描くねぇ。手塚さんのファンなの?」と話しかけてきました。その場はそれで終わり、忘れかけた一年後の夏、突然上田さんから電話がかかってきました。「手塚さんが阿波踊りに来るんだけど、空港まで車で迎えに来てくれませんか?」
私は、だまされているのかなという気持ちと、これはすごく光栄なことだという想いで、頭の中が混乱しましたが、「ぜひお願いします」と応え、しばらくは眠れない日々が続いたのでした。 約束の当日、洗車したての古いカローラで徳島空港まで出向いた私は上田氏と落ち合い、手塚先生を待ちました。手塚先生は仲間の漫画家二人と一緒にその姿を現したのでした。こんな近い距離で生の手塚先生と接近遭遇してしまった!と、まず感動したのでした。しかし、上田氏と手塚先生は、もう一人の迎えの自動車に乗り込み、私のカローラには仲間の漫画家お二人を乗せて出発したのでした。

 一緒に昼食をすることになり、徳島駅の近くの寿司屋に入りました。私の斜め前には本物の手塚先生が座っておられます。その場は和やかに会話が弾んでいましたが、死ぬほど緊張していて、何をしゃべったのか覚えていません。覚えているのは手塚先生の寿司の食べ方だけです。手塚先生は寿司のネタを箸でつまんで醤油につけ、またご飯の上に戻して食べたのでした。なるほど、さすがだ、やっぱり違うなぁ、とまたまた感動したのでした。
 その日の宿である東急インにチェックインし、図々しく部屋までついていきました。でも、「これから部屋で仕事をするから」ということで、阿波踊りの時間に出直すことになりました。こんな所まで来ても仕事をするという熱意はやはりさすがだ、とまたまたまた感動したのでした。そして夕方、また上田氏と落ち合い、手塚先生の部屋まで行って、なんと浴衣の着替えを手伝ったのでした。「あれ、浴衣ってどっちが前だっけ?」手塚先生に聞かれ、もちろん頭の中は真っ白なので、「こっちが前ですよ」などといい加減なことを言ったりしながら。その時に、なんとベレー帽もメガネもはずした先生の姿を見てしまいました。
 部屋の中で足さばきをちょっと練習し、みんなで演舞場に向かったのでした。その時ホテルのロビーで見知らぬ人に、「あの〜、手塚さんのサイン、もらえませんか?」と声をかけられました。なんだか手塚先生のマネージャーにでもなったような気分で、「ちょっと今は急ぐので・・・」と言ったのでした。演舞場に着いたらもちろん注目の的です。阿波踊りにはいつも芸能人やら有名人が来るので、それを目当てに見に来る人も多いのです。手塚先生は徳島そごうのゲストなので、そごう連と共にいよいよ踊り本番です。先生はなかなかの踊り手です。ベレー帽の上からしめたはちまきも凛々しく、堂々としたものです。私も県人として、先生の隣でつい踊ってしまいました。でも、自分も踊ることになろうとは思わなかったので、阿波踊りの衣装を用意していない私は、ちょっと恥ずかしかったです。しかしそれ以上にもう夢心地なのでありました・・・・・。
 次の日の朝、ホテルまで迎えに行き、徳島空港までお送りしました。別れの際、先生は私に「ありがとうございました。お世話になりました。」とおっしゃってくれました。神様のような存在なのに、私なんぞにそんなもったいないお言葉・・。またまたまたまた感動してしまいました。
 こうして手塚先生の短い阿波踊り体験は終わったのでした。先生がいない今、あの日の体験は本当にかけがえのない、私の一生の宝物なのです。