私は、剣山(徳島)の麓の小学校に初めて赴任した年に、適齢の徴兵検査を受けた。身長は、170センチメートルで大きい方だったが、体重は46.5キログラムというので筋骨薄弱、丙種合格になっていた。ところが、日華事変・太平洋戦争と戦争が次第に拡大してくると、私の様な貧弱な者までも夏期休暇中に、各市町村単位で点呼が行なわれるようになった。軍服に似た服を着け、奉公袋(中には、手帳・軍人勅諭の本)を持ち、毎年1回は行って、徒手訓練などを炎天下で行なったものである。中には、卒倒して手当を受ける者もいたことを、覚えている。査察官が私の近くに来たときに、「これは、体がよいぞ。」と言って、肩を叩いてくれたこともあった。
其のころの召集では、片目の者、少しびっこの者、知能の低い者、背の低い者も、徐々にとられるようになっていた。婦人も竹槍をもって訓練した時であり、召集で行かない者は、余程の不具者か、老齢の者あるいは婦人・子供くらいの者だった。召集で行くのを、光栄に思っていた時代であり、まして、建国以来戦争に負けたことを知らぬ日本であったから、当然のことかもしれない。
当時は、軍国主義一色で、軍部の権威は相当なものであった。政治関連のすべての組織は、全力を挙げて戦争に協力していた。もし、反戦思想や言動を持つ者がいたなら、徹底的に弾圧されていった。特に、滅私奉公の精神は徹底しており、軍部は大東亜共栄圏を確立し、八紘一宇の具現をするのだと豪語していた。
1938年、国家総動員法が施行された。そのうちに、あそこの家にも、こちらの家にも召集令状が、飛んできたのである。筆者の兄弟8人中6人までに、召集令状が来たのである。私は、戦争も終わりに近い昭和19年5月11日の午前中、徳島県板野郡板西国民学校に勤務している時に、召集を受けた。別に、家の方からは何も連絡はなかった。退庁して帰宅してみると、親・妻子供の顔色が、いつもと違っていた。鞄を置いて靴を脱ぎ、服を着がえて階下に降りた。夕食の用意も出来ていた。食事をいただきながら、隣の人に召集が来、ついに私たちの家にもそれが来ていることを知らされ、真っ赤な召集令状を見せられた。その時初めて、胸にグッと来るものがあった。また、その瞬間、まさかという気持ちもした。父親は日露戦争に出征していたので、召集令状を知らせる時の心得を知っており、びっくりさせては良くない、と考えているようだった。親心とは、本当に有難いものである。
5月11日に受けとった召集令状をよく見ると、「6月1日午前8時30分に、西部36部隊に入隊すべし。」と、書いてあった。20日間も日数があったので、入隊の準備は完全に出来上がった。
私の日記は、昭和8年、徳島県立実業補習学校教員養成所に入所した当時から続いたものである。それが途切れると気持ちが悪いくらいになっていたので、55年余り経った現在も、書き続けている。それで今では、西洋紙を2つ折りにして綴ったものが18冊で、積み重ねてみると厚さ1メートル60センチメートル余りとなっている。入隊以来、日本国内に居た時は、原稿を家の方へ送り、妻に清書させていた。その中のいくつかは届かなかったりして、あちこち途切れている。毎日の事は、丹念に記したのであるが、失せて無くなった物は仕方がないので、記録に残っているものだけを紹介することにする。
入隊から転属、転属から戦地へ転々と駆け廻り、最後はレバノン島の生活の有様、終戦後8ケ月のこの島での生活と本国に着くまでの記録である。外地にいた時は給与された乾パンの袋を丁寧にほぐして表裏を作り、鉛筆で記した。それをドンゴロスのリュクサックの底に入れて持ち帰り、仕事の合間を見つけて、清書したものである。これは、戦争中の苦労と又その反面、楽しさを見つけて強く生き抜いていこうとした者の体験談でもある。
太平洋戦争に参加した数多くの軍人の中にも、私の如き軍人のいた事を知って欲しい。また、この貴重な命懸けの体験を眠らせて置きたくないと思い、ここに敢えて活字にする次第です。そして、このような戦争という悲惨な体験を2度と繰り返す事のないように、国内否々全世界の人々に強く訴えたいものである。
こう記している間にも、広島や長崎では原爆のために病める人々が、一人そしてまた一人死んでいく。原爆で殺された多数の霊、あっという間に一家の柱を失った人達の苦労は、今なお続いている。戦争のために傷つき不具になった者も同様である。こうした人達の状況が眼前にちらつき、誠に済まない気持ちでいっぱいになる。戦争は、動物的本能をむき出しにした野蛮な解決方法であり、もっと人間らしい解決の方法を見い出せなかったかと、後悔される。
戦争に勝った者も負けた者も、お互いに後の傷を癒すのに大変である。そして結局、完全には癒し得ないのである。命を無くした者が生き返る事はない。実に馬鹿らしいのは、戦争である。我々にとって戦争は、もう、こりごりである。
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