日々のことなど 2002年1月


2002年1月4日〜6日 <冬の京都を行く> 娘たちの冬休みの日程繰上げをそそのかせて、京都へ出かけました。第1目標は比叡山、あとは落穂ひろいになる予定。おそらく今回で京都は終了するだろう。
 三宮から新快速で比叡坂本駅へ。1時間半くらいだからずいぶん近い。電車の窓から見る比叡山は、山頂が雲に隠れていて、どうもやばそう。駅を降りると、人気がほとんどない。歩いて回るのもしんどいし、これでは方向すらわからない。人が多ければ、そちらに付いて行けばいいのだが。で、タクシーに案内してもらうことにしました。

 まずは聖衆来迎寺(しょうじゅうらいごうじ)。タクシーを降り立つと、本堂の屋根などに雪が残っていて、北へ来たことを実感させられる。恵心僧都が念仏道場とし、紫雲のなかに弥陀を感得したので、寺の名前にしたそうだ。信長の比叡焼き討ちの折、この寺はそれを免れたので、寺宝が多く残されている。それで期待をして行ったのだが、玄関に予約が必要な旨の張り紙がなされていた。重文の客殿や森蘭丸の父の森可成の墓などがあります。

 続いて、西教寺(さいきょうじ)。先の聖衆来迎寺が琵琶湖の近くにあったので、この寺へは、ずっと上りになります。距離的にはそんなではないのだが、道路の両側にも、雪が残っていました。寺域に入ってから、回りくねった坂を上り、駐車場を通り越して、最後は急な坂を一気に上り詰めると、いきなり本堂のある境内に到着。わりと広いのだが、人影がまったくないのです。
 大きな本堂は重文。その山手側には、やはり重文の客殿があります。

             

 境内には、明智光秀とその家族や郎党の墓が残されています。光秀は坂本城主だったから、このあたりのどこかに、居城があったのですね。坂本と言えば、延暦寺の町とだけ思い込んでいた、うかつと言えばうかつ。

                        
 
 本堂へ勝手に上がりこみ、般若心経を唱えさせていただく。本尊は重文の阿弥陀様で、ずいぶんと大きな像です。定朝様式だが、鎌倉初期のもの。受付で御朱印をいただき、少々立ち話。三賀の間は人が多かったとのこと。桃山期の襖絵などがある客殿の拝観を勧められたが、家族どもは早くもタクシーの中。このお寺にも寺宝は多いのだが、あきらめなければならない。
 
 続いてタクシーは、坂本の里坊へ突入。延暦寺のお坊さんたちは、比叡山上では厳しい修行だけをおこなっていたので、この里坊に息抜きの場を作ったのだそうです。50箇所くらいあるそうです。
 生源寺(しょうげんじ)。開山伝教大師御誕生地です。ずいぶんとこざっぱりしていました。こちらへも上がって、お経を唱える。
 続いて滋賀院門跡(しがいんもんぜき)。総里坊なので、広いし、建物も多い。このお寺を囲む石垣がまたすごい。まるで城郭のよう。

               
                 
 滋賀院も拝観すれば、かなりなものが見えたのだろうが、これも中止。あと何坊か、タクシーの中から教えてもらいました。

 比叡山上へは、ケーブルカーという手段もあるのだが、寒いのと、荷物があるのと、歩くのがいやだから、そのままタクシーで行ってもらうことにしました。
 山頂付近へ来ると、ガスがかかっていて、前方がほとんど見えないときもありましたが、車がめったに走っていないのがさいわい。道路の両脇には雪が積んでいて、やばい感じ。
 東塔の駐車場は、さすがに車がたくさん止まっていました。が、端には、雪掻きしたのが高く積まれており、ガスもかかっており、実に寒々とした情景です。
 まずは大講堂へ参拝。続いて根本中堂へ。
      
         
 
 この坂、怖いのです。両側は雪が無いからまだ良いのだけれど。堂内へは、靴を脱いで上がります。足がとても冷たい。しかも、回廊には雪が入り込んでいるのです。たまったものじゃない。お坊さんて、こんな条件の中で修行しているのだ。本堂の中は、扉で仕切られているのだが、寒くて冷たいことに変わりは無い。早く脱出したい・・・ヲイヲイ。

         

 戒壇院をカメラに収めながら、法華総持院へ。ここへの坂は、先の根本中堂への坂よりももっと厳しく、手すりを持ってでないと、滑って転びそう。だが、上りきったところには、絵のような堂塔伽藍が目に入ってきます。元々、慈覚大師が建立したのだが、中世に焼けてしまったのを、近年再建したもの。ガスがかかって幻想的なところが、またすばらしい。
 こちらのほうは、あまり人が来ないらしく、通路以外は雪が積んだときそのまま。生まれたときから雪に親しんでいない娘たち、特に下のは、雪に足跡を付けたりでおおはしゃぎ。---そう言えば、10年くらい前、鳥取に出張したときに、峠の雪をクーラーに詰めて土産に持ち帰り、非常に喜んでいたことがあったよな。

 西塔をとばして、次は横川へ。こちらの駐車場は、車はほとんど止まっていない。ゲートで入場券のチェック。東塔で買った500円券で通しになています。
 それからの道が「ピンチ!」。少し下っている上に、アイスバーン状態。非常にやばい。おっかなびっかな行くことしばし。やがて横川中堂が見えてきます。

          

 崖っぷちに建てられているのです。清水寺みたいだ。上の娘は、転ぶこと数回。最後にはお寺の職員さんまで心配してくれました。本来は、翌日行く予定にしていたのが、天気予報の関係で、この日の決行となったもので、履物に問題があったのです。雪道は、滑りにくい靴を履きましょうね。御朱印をいただいて、<天台宗日常勤行式>をゲット。以前にけんちゃんへの土産代わりにゲットした<真言宗・・>と比べてみて、大半は同じ経典が入っているが、違っているのも少し入っている。その少しの違いが、宗教上での大きな違いなのだ。

 ハイウェイを出てから、堅田浮御堂(かただのうきみどう)へ。正式には満月寺といって、臨済宗のお寺です。ここは絵になるので、娘たちをモデルに、写真ばかり。

 タクシーには元へ帰ってもらうことにして、運転手さんお薦めの蕎麦屋さんで遅い昼食。生源寺のすぐ近く。お薦めするだけあって、変な時間帯なのに満員。そばは得意ではないから、味のほうは良くわからない。

 食後は、日吉神社(ひよしじんじゃ)へ。道中、両側は、里坊の石垣が続いています。

         

 近くに穴太(あのう)というところがあり、穴太衆と呼ばれる石工集団がこれらの石垣を築いたとされる。信長の安土城以来、江戸時代初期にわたって各地の城郭の石垣を築き、穴太積みと呼ばれている。

 日吉神社も、境内は広いし、建物も国宝重文がいくつもあります。鳥居をくぐり、重文の大宮橋を渡り歩くことしばし、変わった形をした山王鳥居をくぐります。さらに歩くとやっと楼門です。

              

 これが西本宮。拝殿・本殿ともに国宝です。天智天皇が大津に遷都したときに三輪明神を勧請したのが始まりとされ、大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命おおくにぬしのみこと)が祭神です。
 本殿を拝してから、右手へ回り込むと、宇佐宮本殿、白山姫神社本殿(ともに重文)などがあります。これだけで圧倒されて、さすがだなどと納得して帰路に就いたのですが、あとで調べると、山を登ったところに牛尾神社本殿拝殿・三宮神社本殿拝殿(ともに重文)、東へ回れば、東本宮本殿拝殿(国宝)、樹下本殿(重文)があります。以上を山王七社(上七位)というそうです。さらに東側には、東照宮(重文)があって、タクシーの運転手さんが、回るのは大変だぞと言う意味が理解できました。いずれにしても、疲れ果てていて、これ以上行動すれば、家族の反乱を招くのは必死。知らぬが仏。今頃悔やんでも仕方の無いこと。
 帰りは京阪電車です。去年、線路は違うが、石山まで乗ったから、勝手はわかっています。発車間際だったから、切符は車内で買ってくれと、田舎の親切な駅員さん。コトコト電車はのどかでいいです。ついでにうつらうつら。途中からは、乗換えで地下鉄になり、終点は二条です。

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 第2日目は、山で転んだ姉さんはリタイア、足が痛くて歩けないらしい。この日は、市内の落穂拾い。まずは千本釈迦堂。そんなに遠くはないがタクシーで。

             

 京都市内では一番古い建物です。もちろん国宝。正式には大報恩寺。1227年創建で、応仁の乱の折にも、奇跡的に戦火から免れたのです。霊宝館には、快慶作の十大弟子像(重文)や定慶作の六観音(重文)などが収められています。この寺を建てた時に苦労した大工の、妻がおかめだったことから、おかめがたくさん並べられています。境内にはどでかい石造のおかめも。

 さらに、相国寺を歩き、御所を中央突破してから皮堂へ。道中、新島譲の旧邸の看板を見つけたので、パチリ。

               

 犬は歩けば棒に当たるが、京都では、人が歩けば名所旧跡にあたる??

 皮堂(こうどう)。正式には行願寺、西国三十三ヶ所霊場の十九番です。実に狭いところにあります。

               

 少なからずの参拝者が来ています。バスで乗り付けているから、ややもすれば満員御礼の事態を引き起こすかも。で、私も御朱印をいただくのが目的で、ご来場の皆さんと同じ目的です。観音様には現世利益があるのですからね。
 
 続いて六角堂へ。こちらは第十八番。正式には頂法寺。

               

 最近読んだ、親鸞上人の本の中に、比叡山からこの六角堂へ100日籠もるという箇所がありました。夜になると、比叡山から降りてきて、夜中じゅう瞠目し、朝になると山へ帰る。これを100日間続けるのです。90何日目かに聖徳太子が現れて・・・。

                  

 本堂が六角になっているのです。背後のビルは、生け花の池坊のです。要は、このお寺の坊さんってことなのでしょう。

 下の娘も奈良へ帰るというので、京都駅まで送っていく。まだ時間があるので、前回、時間切れで入れなかった等持院へ行くことにしました。

                

 ここには、幕末期に、首を切って鴨川河原にさらされた足利尊氏らの彫像があるので有名です。足利将軍十五代(一部欠)と徳川家康の像が並べられています。製作は江戸期でそんなに古いものではない。庭園もあるのだが、この時期には、花が無いから寂しいものがある。
 帰り道、我が家のなけなしの金を吸い取られた立命館大学へ寄ってみました。歓迎陣はまったくいない。はずもないか。大学は、等持院のすぐ上手。と言うか、敷地は等持院のらしいという話を聞いたことがある。

                 

 衣笠山をバックに、いい環境にあります。しっかり勉強してくれたのでしょうかねぇ?

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 最終日は妙心寺。女どもは完全に脱落。早い話が、ひとりぼっち。このほうが私にとっては好都合。時間を自由に配分できるから。
 娘のところからは近くにありながら、行く機会が無かったところ。去年、夜間拝観に行ったが、それは1つの子院のみ。昼間、見なくてはわからない。なにせ、広大な寺域に、多くの寺院がひしめいているから。

                 

 堀があって、塀があって、石垣こそ無いが、お城のようだ。そのうちのひとつ、退蔵院が公開されているので、入ってみました。有名な瓢鯰図(ひょうねんず)があるところです。禅問答を絵で表現したもの。国宝で、現物は東京の博物館にあるはず。庭園も、見てくれと言うだけあって、なかなかのものです。

 法金剛院。妙心寺からすぐで、JR花園駅前にあります。関西花の寺として知られているかもしれませんが、私にとっては、この寺へ行ったことが、あまりにインパクトが強くて、このページをどう書こうかと迷わせているのです。
 お寺自体は、ありふれた京都のお寺と言ってしまえばそれだけのことです。が、西行法師のことを思い起こすと、あるいは西行と関係が深い待賢門院が住んでいた寺だからであります。

                  

 お寺自体は、丸太町通りに面しており、世俗の喧騒とは紙一重?

            

 一歩境内に入れば、その喧騒はうそのように、静かなたたずまい。平安時代の様式の庭園が、今は冬なのだけれど、春の、花の季節を、ひっそりと待っています。中央の桜が、その咲くときが待ち遠しい。
 仏殿には、阿弥陀様がまつられています。京都の市内では見られない阿弥陀様が、少し郊外へ行くとあるのです。洛中には禅寺が多いが、周りには、山科(法界時)にしろ、大原(三千院)にしろ、南山城(浄瑠璃寺、岩船寺など)にしても、阿弥陀様のお寺が多いです。応仁の乱が影響しているのだろう。と、室町時代の反映が。
 十一面観音も美しい像で、泉涌寺の楊貴妃観音に通ずつものがあるように思えたが。また、この像が収められている厨子が、鎌倉時代のものであるにもかかわらず、彩色が鮮やかに残っておりすばらしい。



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