日々のことなど 2002年5月


 2002年4月29日〜5月1日 28日は親類の法事だった。中1日で、次は奈良へ。けんちゃんも同行の予定だったが、都合で家内と。
 行きがけの駄賃に霊山寺(りょうぜんじ)から。

 阪奈道路を下りてから、近くなのだけれど道が良くわからなくて、ナビが適正に教えてくれなくて、同じところをぐるぐる回ってなかかなたどり着けなかった。ほんの際まで来ていたのに馬鹿みたい。広い駐車場が用意されていて、丹塗りの大鳥居が待ち構えています。神社のような気がしてきます。

          

 掃除が行き届いていて、すがすがしい。境内に鳥居さん?お聖天さんへの入り口でした。

                       
 
 掃除係りのおばちゃんが、清掃しているのです。ここには、ゴルフの練習場があり、それでゴルフバックに放棄が立てられているのですね。
 左手を奥へ進むと、石段の上に本堂があります。本堂には、重文の阿弥陀様や薬師様などがまつられており、堂上にて拝むことができます。通路を挟んで、反対側の山の上には、三重の塔があります。それ以外にも、たくさんの堂宇があり、お聖天さんや弁天さんの建物も新調されて意気盛んなお寺と見受けられました。

                      

 バラ園が併設されているのだが、わずかに時期が早すぎて、ちらほらと咲きかけていた程度。このバラ園も、綺麗に整備されており、満開のバラが見えなくて、非常に残念でした。

 車を娘の学生マンションの大家さんのところに駐車し、国立博物館でもようされている東大寺展に出かけました。大仏開眼1250年ということで、東大寺の寺宝が、一挙に公開されているのです。前期の目玉は、三月堂の日光月光菩薩(にっこうがっこうぼさつ)でしょうか。普段は、三月堂の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)の両脇にまします。少し距離があり、位置も高いのだが、この展覧会場では、すぐ目の前にあるものだから、細部まで観察することができ、天平の製作時の色彩がわずかながら残っていることなどのも確認できました。もうひとつの目玉は、不空羂索観音の宝冠です。これも、薄暗い堂内では、形状だけしかわからないものなのですが、目の前でじっくりと見ることができました。

 博物館を出てから、三月堂へ。執金剛神(しゅこんごうしん)が公開されています。この像は秘仏で、年1回だけ、12月の、良弁上人(ろうべんしょうにん、天平時代に東大寺を整備した人)の命日に公開されるだけです。通常拝観と違って、北側から入場します。意外と人が少なくて、穴が開くほどに拝観しました。おそらく最初で最後でしょうから。須弥壇を後ろからのぞくというおまけが付いていました。前述の不空羂索観音などの仏像群は、通常では正面からしか拝むことができず、背後から見るということは考えられなかったのです。そのわりには、物好きっていないんですなぁ。

 二月堂でご朱印をもらって、お決まりコースの手向山八幡宮を経由し、春日神社へ。神社の方はパスし、フジのある神苑へ。綺麗でした。 



 30日は奈良を離れ北に向かいました。第1目標は宇治平等院。ここへは、学生時代だから30年も前に来たきりです。おぼろげな記憶しかない。以前に、日野の法界寺に行ったのだが、ここからはそう離れていないはず。                                            
 
 第1の驚き。池の鯉が、鯉のはずが、どうみてもボラのような魚が泳いでいました。残念ながら未確認。平等院は私にとっては、平家物語で、橋合戦がおこなわれ、源三位頼政が討ち死にしたところとの思いが一番なのだが、学生時代に来たときにはそれの記憶がない。境内には、源三位の墓ものこされているのに。
 本尊は、丈六の阿弥陀如来。法界寺と同じもの。ともに国宝で、こちらの平等院のほうが傑作とされています。しかし、案内のお姉さんに30分だけと時間を切られ、監視つきではろくに鑑賞もできない。感傷に浸る間の無い。法界寺のおばあちゃんに、薄暗い堂内で、ごゆっくりどうぞっていわれたほうが、よほどありがたみがあるってものです

 続いて、黄檗山万福寺。法界寺へ行ったときに、この寺まで予定していたのだが、行けなかった。まさか自分の運転でここまで来られるとは思っても見なかった。なにせ、車の運転は苦手ですから。またしても、ナビに裏切られてしまった。おっしゃるとおりに走らせていたら、万福寺の裏山の駐車場に連れてこられた。近在の人に尋ねたら、反対側に来てしまってるよ。
 
              

  山門です。いかにも中国風。ここでは、この寺がどれほど広大かは、予測不可能。

            

 確実なプランの元に、延々と巨大な建物が続いているのです。江戸時代になってからの創建だから、戦乱や火事に会っていないのでしょう。これといって目玉はないけれど、ただただ圧倒されました。
 日常のお勤めは、中国語(明語)でおこなわれるのだそうです。
 
    ぽぜぽろみとしんきん かんつさいぷさ へんしんぽぜぽろみとす ちゃうけんういんきゃいくん といちぇく ・・・・・・・
 
 般若心経の冒頭です。    

 西国三十三ヶ所の三室戸寺へ寄りたかったのだけれど、時間に余裕が無くなったので引き返すことにしました。24号線は、城陽付近でかなり混雑していたので、蟹満寺にたどり着けるかどうか不安だったのです。

           

 
 1日は、早めに帰ることにした。大阪市内の環状線はどうも苦手なので、すいている時間帯を狙ってだ。淡路島に渡ったところで、淡路花博跡地のことを思い出し、行ってみることにした。タイミングよく花壇のイベントがおこなわれており、家内が大いに喜んでいたのはもちろんである。



 2002年5月12日 SLが徳島本線を走る。府中駅のページに写真共々掲載しています。


 2002年5月19日 松茂航空隊の公開日。昨年はニューヨークのテロ事件で急遽中止になったのだ。今年は、飛行機の展示が無く、さびしいものだった。展示されていたヘリの前で、昨年退職した従業員とばったり出会い、あちこち案内をすることになった。彼は、海兵の最後の生徒であって、特攻隊の記念館では、大いに感動していた。水戸黄門の西村晃氏もここで訓練を受けており、出撃直前で終戦になったのだ。ここの飛行場は、パイロットを養成するための施設であり、大戦末期には特攻隊員の訓練をおこなっていた。そして訓練を終えた操縦者から逐次、沖縄のアメリカ艦隊に向けて、その練習機「白菊」で出撃し、帰らぬ人となったのだ。館内には特攻観音がまつられている。合掌。


 2002年5月25日 鶴亀公園のしょうぶでも見に行こう!まずまずのできばえ(自画自賛)

        



 2002年5月26日 多田家葬儀。数年前に、多田社長からブラケットの金型の製作を依頼された。「私はシロウトだから、良いようにお願いします。費用はこちらでやります」と言われて、やる気満々になったものだ。未だにメンテの必要が無く、順調に作動しているから、やはり良い出来なのだ。初期費用も、やる気だけでカバーしたから、安価に上がっているはずだ。長い目で見れば、良い買い物になっているはず。やる気を起こさせるのがうまい社長でした。享年64.


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