日々のことなど 2000年11月


2000年11月26日 11月もいよいよ終わりになってきた。本当は京都へ行きたかったのだけれど、天気予報では悪いらしかったので、と、ヤボ用が急に出てきたので、待機していたところ、絶好の紅葉狩り日和になってきた。でも、最近の快晴は、春のように霞がかかっていて、どこまでも抜けるような青空じゃない。目の前の山でも霞んでいる。最近の気候はどうなっているのだろう?
 お四国番外2番「童学寺」、8番「熊谷寺」、9番「切幡寺」、と回ってみたがきれいな紅葉には当たらなかった。日も傾いた頃、7番「十楽寺」へ回ったところ、真っ赤な紅葉に出会えた。

             

        

 以前に来たときから、目を付けていたのだが、結局はここしかなかったのだ。

 途中、「熊谷寺」の西1kmほどのところに、「熊谷直実ゆかりの寺」の標識を見つけたので、寄り道してみた。真正面から写真を撮ったのだが、刈田越しの遠景からのほうが良かったかな。

                

 蓮生寺、れんしょうじと読むか、れんせいじと読むかわからない。平家物語の福原一ノ谷の合戦の折り、東国の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)は、平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取った。戦後、そのことを哀れみ、出家して、蓮生という法師になって、諸国を行脚したと、謡曲「敦盛」にある。

 〜これは武蔵の国の住人、熊谷次郎直実出家し、蓮生法師と申す者にて候。
        さてもひととせ津の国一の谷にて、平家の一門無冠の敦盛を手にかけ申しこと、
              あまりにいたわしく存じ候いて、黒谷の法然上人の御弟子となり、諸国をめぐり候〜
 
 人っ子一人おらず、うち捨てられたような田舎のお寺。簡素な鐘楼門をくぐると、正面の本堂だけ。庫裏は銅板を巻いてはいるが、草葺きの小さな建物。門の横の真新しい石碑と、境内の墓にわずかに表示されているだけで、詳しい内容はわからない。札所が「くまだにじ」であることから、このあたり一帯に、熊谷直実の痕跡が有ったのかも知れない。池田の方へ行くと、熊谷(くまがい)という姓があるから、その子孫が阿波国に封土を貰って土着したとも考えられる。
 本堂の大屋根は最近に修理されたようだが、柱などの木材部の痛みが激しい。本堂には賽銭箱さえもなく、修理費用なども近隣の檀家が捻出しているのだろうから、小さな村では、一時に集められる金額も限りがあるはずだ。ところが、すぐ近くの札所では、本堂や他の建物を、次々と新築したり改築したりして、古風な寂びた情景が無くなっていくのは寂しいことだ。札所になるとならないとの違いで、こうも変わる物か。



2000年11月19日 紅葉に再々度挑戦。如意輪寺に行ってみた。標高400mあまり。残念ながら、ここも全くダメだった。今年はどうも紅葉に見放されているらしい。赤くなっている木は、葉が散って少なくなっているし、葉が散っていない木は赤みが差してさせもいない。このまま散ってしまうのかだろう。ハゼの木の赤くなりようがいまいちなので、まだ早いのかな?それにしても、11月ももう終わりだ。
 山門が、前回来たときには、左手に有ったはずなのに、右側にワープしている。そんなに早く移築できるのかなと思ったら、工事中の写真があって、クレーン車でつり上げて、一丁上がりだ。

            



2000年11月12日 けんちゃんのこと。黒滝寺という、第21番札所大竜寺の奥の院がある。ここへ、歩き遍路をやっている彼が、この日に行くことになっているのだが、道中が長いために、帰りが不可能であるのだ。それで、雲早山の紅葉狩りから降りてきた私が、彼を途中で拾うことになったのだ。
 雲早山から大滝のかけての紅葉は、どうもパッとしなかった。おそらく来週では散ってしまっているように思われるが、本日も、素晴らしい紅葉とは言えなかった。掲載するような写真が撮れなかった。数年前に行ったときの紅葉が、あまりにも素晴らしかったので、どうもそれと比較してしまう。・・・・まだしも、先週の高越山のほうが良かったように思われる。
 黒滝寺の近くで、遍路中のけんちゃんと邂逅したので、お寺山まで2kmほど一緒に歩いた。標高600mほどの山道は、少し寒かったが、歩くほどに、汗ばんできた。息が切れかかったころに、太い杉の木や、苔むした石垣が見えてきたので、やれやれだ。
 たどり着いた黒滝寺は、想像以上に整備されていて、小さなお堂だけだと思っていたのだが、立派なものだった。

       

 本殿で納経を納めるけんちゃん。右端、奥にわずかだが見えるのが、十一面観音を安置した本堂である。あと、さらに右手に太子堂がある。寺歴によると、古くは山岳仏教の道場として栄えたが、戦国時代に、砦となり、戦火によって消失したものを江戸時代に再建したようだ。

 帰りに、農村レストランで遅い昼食を取った後、帰路を取った。途中、山口というところに大学の時の後輩がおり、造り酒屋を営んでいるので、懐かしさと、今夜の酒が欠品していることもあり、立ち寄った。

        

 我らが大学の仲間が二十名ほどで、仲良くしていたのだが、その中でただ一人下戸がいて、そいつが酒屋なのだから、世の中はおもしろい。しかも、その逆の大酒のみが、けんちゃんときたもんだ。お薦めを聞いたのだけれど、結局、私のように自分の舌にこだわる者は、人の意見なんて無用だから、上から順番に四本購入した。さらに春の新酒の時は、絞り立てがあるのだそうな。
 一番左端の吟醸原酒¥2900也から早速、今夜の夕飯時に頂いたが、封を開けたとたんに、芳醇な香りが広がり、飲んでも濃厚な、コメを意識させる味わいの酒で、しかも、濃厚さに変なクセがないから、飲みやすい。ただ、すき焼きのような、濃い味の料理には、味が濃すぎて合わないかも知れない。酒だけで飲むならこれはいける。入鶴はもっと淡泊と思っていたが、どうしてどうして、こんな酒も造っているのだ。これなら近所の酒にうるさい兄ちゃんでも納得すると思い、あと八合ほどしか残ってないが、先日のハマチの返礼に、さっそく回した。



2000年11月5日 今日は紅葉はやめにして、鳴門へフィッシングでもと出かけたが、途中、大谷に重文級の建築物があるのを思い出して、そちらの方へ寄り道した。種蒔太子という四国霊場第1番番外札所があり、そこが目印となる。なかなか立派なお寺さんで、こんなものがこのあたりにあったのかと、自分の不明を恥じる。この寺の境内に、古墳があり、むろん盗掘されているが、穴観音として信仰をを集めている。

           

 この寺のすぐ横に、宇志比古神社がある。この本殿が、桃山期の建築物らしい。

           

 建物自体は、銅板葺きだしそんなに古い感じがしないでもないが、建築様式が古いのだそうな。屋根裏の梁の構造が少し違う、と何かで読んだような気がする。(間違っていたら、ご教示下さい)
 ・・・今年はどうも、アジとは縁がないらしい。鳴門の釣り場を探索してみたが、どこにも釣れている雰囲気が見あたらない。時間帯もあるのだろうが、こちらも時間帯があって、そちらのお魚ちゃんの思うようにはいかないって。・・・要は釣れなかったってこと。



2000年11月4日 最近づっとだが、休日になるとお天気のご機嫌が悪い。紅葉の季節が来ているというのにだ。久々にお日さんが顔をだしたので、思い切って一番手近と思われる高越山へドライブしてみた。

      
 
 頂上付近に駐車場があり、そこから1kmほど山頂を迂回するように山道が付いていて、写真のように紅葉が楽しめる。高度が1100mほどあり、ちょうど見頃であった。

    

 行き着いた先に、高越寺がある。右側が高越大権現をまつる本堂である。山頂付近は、青空が見えたり、雲が急に飛んできたりして、デジカメには条件が悪い。

           

 なんとこれは、昔の消火ポンプなのだ。鉄製の本体に水を居れて、棒の両端に付いた人が、交互に押し続けると、向こう側にある出口に取り付けたホースから、水が勢い良く(?)飛び出すという仕掛けだ。電気などの動力源が無かった時代の道具のなれの果てだ。保存する価値はあると思うのだが、来るたびに、端へ端へと追いやられて、朽ちるにまかせている。

 夜は、HP友達のKechiKechi Classicsの林さんが仕事で徳島に来られると言うので、初対面なのだけれど、酒を飲みながら、音楽談義を楽しんだ。貴重な情報をありがとうございました。
 けんちゃんが自分のスペースを使って、お寿司やさんのHPをあげています。<繁寿司>大将からリンクを依頼されました。



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