日々のことなど 2001年10月


2001年10月8、9日 前日には京都美術館へ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂をだく貴婦人」を見に行ってきました。岡崎界隈も、近頃はよく来るようになってしまった。
 京都駅から、タクシーで一気に乗り付ける。大変な混雑で、適当なところで降ろしてもらいました。まったく人の多いところだ。
 展示されている絵の照明が暗いので、よくわからなかった。周囲に説明が多数なされていたので、そちらの方で観賞が終わったみたい(笑)
ポーランドのチャルトリスキ美術館の収蔵品の移動展で、メインがダ・ヴィンチなのです。ショパンを描いた絵や、自筆の楽譜などの展示されていました。
 時間があるので、平安神宮へ。なぜかうちの連中は、ここへ入ったことが無いのです。このあたりへは、しょっちゅう来ているのに。結婚式場と勘違いしていたみたい。ここの建物に塗られた朱が、私は好きです。人によっては、けばけばしいと言うでしょうが、寺院にしても、元々はあんな色に塗られていたものが、長い年月を経て寂びた色に変わったのだから、元の色を容認しても良いのではないか?裏側には広大な庭園があって、しだれ桜の大木や紅葉の木などが植えられています。時期が来れば見事だろう。
 夕食の後は、妙心寺の東林院のライトアップを見に行きました。妙心寺へ入るのは、私にとってはおそらく初めてのはず。南の門から入ったが、真っ暗な境内に、巨大な建物が何棟も建っていて、人があまりいないものだから不気味な感じです。ぽつんとある街灯と、外からの光で方向がそれとなくわかる程度。途中から人が増えてきたので、目的地がわかりました。家内が、行く前から期待していたライトアップだから、よかったのでしょうね?

 翌日は、山科へ出かけました。この方面は、学生時代に醍醐寺へ行ったきり。山科へは、二条駅から地下鉄で随分簡単に行けるのです。小野駅で下車し、まずは勧修寺、徒歩で10分くらい。お寺は「かじゅうじ」と読みます。もっとも、道路標識には「かんしゅじ」になっていますが。総門まで、両側に白壁が続いています。その壁に沿って、しだれ桜が植えられています。花の時期に来れば綺麗でしょうね。門をくぐると、宮殿から移された建物−お堂?−がありますが、仰々しくなくて、しっとり落ち着いた感じです。広い庭は開放的で、平安時代の貴族の庭園様式であって、京都の寺院によく見られる山水とはずいぶんと違っています。紅葉の木がたくさん植えられていて、これも、時期が来ると綺麗でしょう。

            

 この時期は、色気がないのでさえない。来る時期を間違えているのですね。だから人もいない。でも、落ち着いていい雰囲気でした。

 元来た道を引き返して、小野駅を通り過ぎ、奈良街道までくると随心院に出ます。小さいお堂があるだけかと思っていたのだが、大きな寺院でした。勝手な想像はけがのもと、予習をしっかりしてこなければ!
 庫裏の受付を入ってから、何棟か建物を通って、しばらく歩かなければ本堂へ行き着かないのです。このお寺は真言宗善通寺派なのです。四国と関係があると、なんとなく嬉しい気分になりました。

              

 本堂から眺めた庭です。苔が、少し枯れているようですが、それでも綺麗でした。本堂の中には、本尊の如意輪観音様を中心にして、阿弥陀様や薬師様などがづらりと並んでいます。
 このお寺は、小野小町に関係があるのです。このあたりの地名が示すように、平安時代には小野氏が領有していたのです。小野篁(おののたかむら)が有名ですね。小町は篁の孫とも言われています。卒塔婆小町像がまつられているし、小町が化粧の時に使った「化粧の井戸」や、小町に当てて送られた文を埋めた「文塚」などがあります。外の庭には、広い小町梅園があって、梅の季節には、これまたすごいでしょう。

 随心院の総門を出てから、奈良街道を一路南下します。しばらく歩くと醍醐寺です。お腹がすいてきたので、そのつもりになっているのだが、それらしい店に出くわせませんでした。しかたなく空きっ腹を抱えたまま、醍醐寺の境内へ。

              

 醍醐といえば、思い浮かぶのが豊臣秀吉の「醍醐の花見」です。もともと花見ができるような状態ではなかったものを、秀吉一流の流儀で、わずかに期間で準備したそうです。その折りに、三宝院と、その庭が整備されました。写真撮影が禁止されているのが残念です。特に広いというわけではない空間に、池には橋あり、島あり、名石あり、さらに苔の庭あり、松が、紅葉が、とごちゃごちゃした感がないでもないです。豪華なところが、秀吉流なのでしょう。
 山門をくぐった境内は、だだっ広く、本堂がぽつん、五重の塔がぽつんと、まとまりがないようです。さらに奥には、何棟かの建築物が続きます。これらが下醍醐です。上醍醐は、ここからしばらく登山しなければなりません。空きっ腹に、足弱ではあきらめるしかない。
 学生時代に、息を切らせながら登ったことがあります。どんな建物があったかおぼえていませんが、あと何丁とかいた石柱の記憶だけはあります。西国33ヶ所霊場の札所が、この上醍醐にあるのですが、あきらめました。期間限定の寺宝特別展の少し前だったのが、心残りでした。
            
              

 JR六地蔵駅が最寄りなので、タクシーに乗ったのだが、奈良街道から少し入った所に法界寺があるというので回ってもらいました。日野薬師として、地元の信仰を集めています。道路が極端に狭く、車の対向さえ困難な道路に面して山門があります。境内は、写真の阿弥陀堂と、その右手に薬師堂があるのみ。薬師堂の薬師如来は秘仏で見ることはできません。この時期は、訪れる人も以内のでしょうか、閑散としています。写真を撮るには、都合がいい。
 私の目的は、阿弥陀様。平安時代に建てられた宝形造りの阿弥陀堂に坐す。お寺のお婆さんが、入り口の扉を開けてくれ、上へと誘います。反対側の窓も、開けてくれるのですが、堂内はほとんど真っ暗。阿弥陀様の前に座ったところで、お婆さんの説明が始まります。懐中電灯で阿弥陀様を照らし、さらに、天蓋や内陣側壁や柱を。そこの描かれた飛天や仏様が、今でも残っているのです。貴重な遺物であるらしい。感動的だったのは、後背の化仏の衣の影が、懐中電灯の光の動きで、あたかも飛んでいるように見えるのです。



2001年10月20日 サニーサイドジャズオーケストラリサイタル


2001年10月21日 庄野龍夫リコーダーコンサート


2001年10月27,28日 下の娘からの御注進で、奈良ではマネ展と正蒼院展が開催されているので来ないかとのこと。もちろん依存はございません。さっそく車で出動。天気予報によると翌日は雨らしいので、寧楽山を越えて、お寺巡りに発進。

                          

 浄瑠璃寺へは、学生の折りに近鉄なら駅から歩いていった事があります。車だと、少し大回りになります。30年と比べると、門前のバス停付近がにぎわしくなっています。
 小さな門をくぐると、三重の塔が目に飛び込んできます。30年まえには、改修されて間無しだったので、朱が鮮やかだったように記憶していますが、落ち着いた良い色になっていました。
 本堂には、9体の阿弥陀様が並んでいます。それで、九体寺とも言われています。写真の左側から入るようになっています。入って直ぐに、四天王が2体だけ立っています。残りの2体は、京都国立博物館に行くと見ることが出来ます。
 忘れてならないのが、吉祥天立像。小ぶりながら色が艶やかで、気品があります。本堂をも含めて、いずれも国宝のはず。

                        

 入り口に飾られている、アケビの生け花です。紅葉はまだだけれど、秋の色の一つですね。食べても、良いのだけれど。塔の中には、薬師如来が安置されているので、なんとかの薬師霊場のひとつにもなっています。
 参道を引き返す途中で、とろろ定食の旗を掲げている、藁葺きの店があったので、そこで昼食。藁葺きの家が居宅なのだけれど。
 岩船寺へは、車だと少し走れば済みます。こちらの門前は、更ににぎやかで、農産物を売る店や、餅を売るにでなどが並んでいます。30年前の記憶が、蘇らない。石段を少し登ると、やはり小さい門。その門から、朱が鮮やかな三重塔がのぞいています。
 ここの本堂も、やはり阿弥陀様。先の山科の法界寺以来、阿弥陀様が続いています。

          

 この朱が鮮やかな塔、最近に修復されたばかりなのでしょう。全く予期していなかったので、実に驚きだ。ここは、あじさいが有名な寺でもあります。本堂の阿弥陀様をはじめ、石室不動明王、三重塔、十三重石塔などが重文です。
 それと、浄瑠璃寺とともに、石仏が多いところでもあります。当尾の石仏群として知られていますが。石仏には、余り興味がないので、良くわかなない。

 さらに車で走ります。ハイキングをしている人が多い。地図を確認せずに、古い記憶をたよりに走り出したのだが、南へ向かわなければならないのに、北へ向かっているようだ。ナビを設定したところ、逆の方向に向かっていたのだ。うろ覚えはけがのもと!
 ナビのままに走っていると、道がどんどん狭くなる。極端に言えば、若草山の裏側のようなところのはずだからと思いつつ、どんどん山が深くなる。不意に柳生へと続く広い道路に出たので安心。すぐに忍辱山円成寺に到着。今まで出会わなかった、紅葉に出くわし感激。

        

 駐車場から、道路を横切り、松林の中の短い石段を降りると、このすばらしい光景が迎えてくれました。檜皮葺きの楼門が、何とも言えない。
大昔の記憶が、蘇らない。こんな池があったのかな?記憶なんて、不確かなものだ。
 
                

 朱が鮮やかな多宝塔も近年再建されたものです。堂内には、国宝の運慶作の大日如来様が祀られています。このガラス越しに拝見できます。ガラスに顔をくっつけて、両手で光を遮り・・。そんな格好で拝んでいいのかな?
 ガラスに映った、後ろの景色がいいものだから、この写真を掲載しました。カメラを構えている私が、写っています。楼門横の紅葉が最高!
 本堂には、ここにも阿弥陀様が祀られています。ずっと阿弥陀様のオンパレード。こちらのは、本堂と、4天王ともども重文です。
 なお、境内の隅の方に、鎌倉時代の春日堂白山堂があり、小さな社殿ですが国宝になっています。
 
 円成寺からは、柳生を中央突破します。私の学生時代に、柳生を扱ったNHKの大河ドラマがあって、一躍有名になった地です。奈良駅からはるばるバスに揺られて行きました。いっしょに行った従兄弟にはなしたところ、きれいさっぱり忘れていました。たいしたものは無かったように記憶しています。この度、走りながら、少し探してみたが、はてさて、どちらの方だったのか?
 笠置に近づくにつれて、道路がどんどん狭くなっていきます。ナビが間違えているはずもなく、地図を見ても一本道。笠置の町を通過。笠置山の上には、笠置寺があり、鎌倉時代末期、建武の新政になる少し前に、後醍醐天皇が、京から落ちて隠ったところ。車で走っても、とんでもないところだから、当時だとすごい山奥だったのでは。
 木津川も、ここ笠置までは峻険な山峡をぬってくるが、ここから下はひらけていて、その昔は「みかのはら」と呼ばれたようです。百人一首に出てきますね。奈良時代末期に、「恭仁(くに)京」が造営された地でもあるのです。
 国道を離れて看板のままに、山をどんどんかけのぼると、本日の最後の目的地である海住山寺に着きます。かけのぼると書きましたが、実際は大変でした。道路が狭い。民家と民家の間の路地のような感じの所を通過します。そして、山道が急なので、重い車だから冷や冷やものでした。運転が下手だし。
 お寺に着くと、日が西に傾いていて、折から特別展をやっているのだが、客の姿がない。職員の方は何人かいて、店じまいの準備をしているところ。拝観を乞うと、案内してくれました。地元のおばちゃん達なのですね。
 この国宝の五重の塔が見たくて、はるばる来たのです。この日は、内陣が公開されていました。中には、宝塔と四天王。厨子絵なども見えたのかも知れないが、狭いのと、暗いのと、あまり残された時間がないのとで。
 本尊は十一面観音(重文)。
 国道へ戻って走り出すとすぐに、恭仁京跡の看板が目に入ってきます。暗くなりかけているので、感慨に耽る時間がない。

               

 翌日は、まずはマネ展。例の有名な「フルートを吹く少年」です。人出が少ないのは何故でしょうか?
 私のことだが、実はマネのことは余り知りません。モネだといくつかの作品は見ているのに。で、展示されている作品を見ると、やはり知っている作品はありませんし、好きになれる絵もありませんでした。しかし、本題の作品は、これは良いです。以外と大きな絵なのです。実物だと、描き方のシンプルさが、大胆な迫力を出しているのです。(日本語が変?)

                

 引き続き、正倉院展。こちらはうってかわって、おすなおすなの大盛況。なんじゃこれは!じいやん、ばあやんが多い!淡路で高速を走っている途中、正倉院展行きのバスが走っていました。正倉院展日帰りというツアーですな。
 あまりの人の多さに、そうそうにギブアップ。今までに、何回も見ているし、今回の展示物はインパクトが少ない。
 
 さらに、春日大社へ。目的は甲冑。ここには、国宝の鎧が、大鎧が二点、胴丸が一点、小手が一点の合計四点があります。常設されているのは、大鎧二点だけ。さらに、火事で焼けた鎧の金物が展示されていて、こちらも優れ物だから、そのままの残っていればと、残念だ。あと、国宝の刀剣などが展示されていました。

                

 そして、この日の最終は、北円堂。以前奈良へ来た時から行きそびれていたのだが、いい具合に開けられていたので、拝観。
 国宝の弥勒菩薩を中心に、脇待と、四天王(国宝)、無着・世親菩薩(国宝)があります。以前に無着像が国宝館にあったのが、最近無いと思っていたら、ここが定位置だったのだ。



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