第十堰 


 吉野川、国府町のすぐ上流に位置する。河口からの塩水をここでせき止める。堰の上流側に徳島市の上水の取水口がある。
 取水口付近に堰の歴史を書いた掲示板があり、それによると、暴れ川を治水するために、河道の変更と堰の構築が250年も前になされたが、その後も洪水で苦労があったらしい。近代になってからは、うまくいっている。
 いま、この堰の改築の是非が問われている。建設省が稼働堰を造りたがっている。県行政も賛成のようだ。これに対して、市民団体は反対している。あるデータによると、こんな物いらない全国版でワースト三位にあがっているそうな。
 お恥ずかしい話であるが、自分は建設是非に関していわゆる無関心派なので、なんともコメントできない。しかし建設することによって、だれが一番利益を得るかということを考えると、怪しい話のような気がする。地元の人たちが、治水に関して一番利益を得るような説得(政治)をしてほしいと思う。
 
  
  南岸から見た第十堰。堰の周辺は絶好の釣り場になっており、釣り人が絶えない。waiも昔、ここでセイゴ(スズキ)の50センチを釣りました。

 
 北岸から見た第十堰。約1Km下流に可動堰が計画されている。実現すると、こののどかな景観、自然はどうなるのだろう。

 
 掲示板にある航空写真。急激な落差を緩衝するためにy字型に設計されているのがわかると思う。本流の上の細い流れが旧吉野川。鳴門へそそぐ。大昔はこちらが本流だった。



(付記)第十堰住民投票について 
 
 昨年(平成10年)11月に、建設省の吉野川可動堰計画に対して、市民が判断を下そうと言う主旨で、市民団体<第十堰住民投票の会>が、徳島市に住民投票の条例制定を直接請求するために、署名運動を行った。12月末の、選挙管理委員会の結果は票では、徳島市の有権者約20万人に対して、約半数に及ぶ、101,535筆との発表があった。
 いかに市民(住民)の関心が高いかということであり、むろん賛成の人も反対の人も関係なしの署名運動であった。これに対して、行政側の反応は冷ややかであり、県知事や徳島市長は、<投票の会>との公開討論会の呼びかけを無視。住民との対話を掲げている徳島市長は、<投票の会>代表との接見を一切拒否。また、県知事は5000人を動員して、建設のための決起集会を行った(大時代的な行為だな)。
 四国放送のとことんラジオでも、この問題につて取り上げており、かなりな反響があるようだ。
 
 私見であるが、本当に必要なものはぜひ作ってもらわなくてはならないし、不必要なものは「税金の無駄」だから、作ってもらっては困る。
 第十堰がどの程度必要であるかは、実のところ、だれにも判らないのではないか。もし作って洪水が起これば行政が悪いし、現状のままで起これば、反対をしたものが悪いことになる。ただし誰も責任は取れないだろう。
 行政が必要と判断したのであれば、
   1.どうして必要なのか。
   2.経過はどうなっていくか。
   3.結果がどうなるか。
これらを、市民(住民)にわかるように説明して欲しい。新聞に折り込みの広報が入っていたが、「・・・と思われる。」では、子供も納得できない。1000億円以上の税金を使うのだから、やはり、誰でもが納得できる説明をすべきではないか。
(いくらこの私が、CD収集が好きでも、10万円分買い込んできたら、家族に説明するのは冷や汗だけでは済まないだろう。)
  
 平成11年1月17日、国府コミセンにおいて、<投票の会>の報告会があり、恥ずかしながら初めて顔出しした。消極的関心派の自分としては、着いてていけない部分も感じた。が、誰かがやらなければいけないことであり、<投票の会>の幹部の方やご近所のT石女史の活躍には感心するおもいである。
 
 1月末あたりに、市議会の臨時集会がありそうで、その時に、条例制定の可否を採決するようである。もっかのところ、住民投票に賛成は少数で、大半の議員は無回答で態度を保留している。



(付記2)統一地方選挙について

 徳島県議会議員選、徳島市議会議員選と選挙が続いて、世の中がにぎわしい。そうした候補者の中に、第十堰絶対反対のみを掲げている人々がいる。単純に反対すれば、票に結びつくと考えているのだろうか?住民投票に賛成した人たちは、誰もがみんな反対派では無いと思う。自分も単細胞な反対派では、決してない。いまいちよくわからないだけのことだ。
 どうも、昨今のふうちょうが、住民投票=第十堰反対ように思われてしかたない。
 
 選挙で選ぶ人は、あくまで住民の代表であるはずで、地域のいろんな問題に対処してもらわなければいけないから、第十堰反対ワンポイントでは、それ以外の問題に対してはどんな対応が出来るのでしょうか。疑問だ!
 
 

    
 

戻る