観音寺遺跡


 徳島市内を迂回すべく、国府町から文化の森を経由して小松島に抜ける環状道路が着工されています。しかし、国府町は矢野から観音寺にかけて、埋蔵文化財の宝庫なのです。そのため、発掘調査が継続して行われてきました。矢野からは、銅鐸が発掘され、新聞紙面を賑わしました。観音寺から最古級の木簡が発掘されたことは、記憶に新しいことと思います。
 国道192号線のすぐ脇で、おそらく最終と思われる発掘が行われていました。6月くらいに発掘中の写真を撮ったのだが、紛失してしまった。この写真は8月はじめ頃のものです。お盆にはもう、埋め立てにかかっていました。

             
 

       

 すぐ背後に、気延山がひかえています。
 何人かで写真を撮ったり、スケッチしたりしていましたが、この穴凹や溝は、どういう意味を持っていたのか気にかかるところです。後日、図書館に行ったとき、報告書ができているのでしょうか?

 続編は敷地の遺跡



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