敷地の遺跡


 国府町は南から順に、矢野、観音寺、敷地と発掘が続いています。近所でありながら、発掘とのタイミングが合わなくて、写真を撮ったり、現地説明会を聞きに行ったりすることができませんでした。このたびは、石井のS精機(株)さんに用があり、通り道で発掘をしていました。が、カメラを持っていなかったり、お天気の具合が悪かったりで、なかなかタイミングが合わなかったのですが、久々に快晴だったので、カメラを持って出かけました。ところが、調査が終わったのでしょう、埋め戻しにかかっていました。

         

 環状線の取り合い道路として、現在の道路を広げるに当たって、調査をしているのです。それなので、道路に沿って、これだけの幅しか発掘していません。写真の更に奥は、すでに埋め戻されていました。道路から写真を撮っていると、調査員の先生から、「入ってきませんか?」と声をかけられました。JN高校の、私と同姓のS先生だそうです。下まで降りて、詳しく説明していただきました。

      

 上の写真で、長方形の穴は、平民の墓らしいです。遺留品は何もなかったそうです。埋め戻されていた方には、これが4,5基並んでいたそうです。埋葬するときには、穴を掘って遺体を入れ、元の土を入れるのが普通だと思うのですが、これは違う土質のもので埋め戻されていたそうです。謎ですね。
 手前の溝のようなものと奥の斜めの溝は、昔にあった溝の遺構です。しかし、両者は時代が全く違うそうです。
 丸い穴があいていますが、柱を立てた跡です。少しずつ位置がずれているのは、柱の根本が腐ったので、立て直したと思われます。この穴の間隔からすると、住居あとではないらしい。住居跡は、もっと南の方でたくさん見つかったそうです。そちらの方では、国衙役人の住居と思われるものも、あったそうです。北の方へ行くに従って、住居は少なく、水田跡が多い。そして、水田跡からは、鍬の跡や農民の足跡もあったそうです。水田を、洪水が襲ったために、埋められてしまったままになったのです。
 右手の壁面に、何本かの筋が入っていますが、土質が異なっていて、遺留物がないために年代の確定はできないが、土地の状況がわかります。黒っぽい模様があれば、植物の堆積なので、かつて水田であったと判断できます。
 写真の奥の方に、2mほどの試掘穴が掘られていましたが、水田を示す黒い模様はなく、粘土と砂の層ばかりだったので、今見えている層が、人が生活していたもっとも古い層なのです。
 
 短時間ながら、丁寧な説明をいただき、非常に勉強になりました。(00.12.15)



 参考 観音寺遺跡

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