ベートーベンによって代表される交響曲は、もちろんそれ以前にも名曲があり、とうぜんそれ以後にも傑作がある。私のライブラリにおいても、第1番目に分類されている。ボリュームとなるとオペラにはかなわないが。
交響曲の歴史
バロック期のイタリアのオペラにおいて、序曲はシンフォニアSinfoniaと呼ばれていた。急緩急の3つのパートからなる。
最初の交響曲作家はナポリ派のサンマルティーニと考えられている。彼は、若いときの若干オペラを書いただけで、その後はコンサート用のシンフォニアばかりを書いた。以後、マンハイム楽派をはじめとして、バッハの息子たちや若きハイドンらによってシンフォニア=交響曲は進化してゆく。
しかしこの時代は、まだまだ、オペラの序曲とコンサート用のシンフォニアは分科されていなかった。たとえばモーツァルトのコンサートではシンフォニーの前半が開幕の音楽として、あいだがメインのコンチェルトとアリアをはさみ、終幕にフィナーレが使われた。(ハフナー交響曲) また、シンフォニアはオペラの序曲としても転用され、あるいはその逆もあった。
その後の、ハイドンの後期の作品やベートーベンのものでは交響曲はコンサートの主曲目になっている。ついにコンサートの主役になったわけである。
ベートーベン以後、交響曲は隆盛を極めあらゆる発展を遂げていった。
交響曲の形式 (基本型)
ベートーベンの9曲を平均的な例にとると、むろん例外はあるべきであるが。
第1楽章 (アダージョの序奏つき)アレグロの ソナタ形式
第2楽章 アンダンテの三部形式( ソナタ形式
)
第3楽章 スケルツォ(メヌエット)
第4楽章 フィナーレ、アレグロ( ソナタ形式
、ロンド形式、ロンドソナタ形式、変奏形式)
区分(交響曲作曲家リストのための)
初期 交響曲の誕生から交響曲ジャンルの確立まで。サンマルティーニに始まって、ウィーン古典派まで。ベートーベンはウィーン古典派 最後になるが、ロマン派の最初にもあたる。
全盛期 ベートーベンからブラームスまで。ブラームスはベートーベンの第10交響曲を書いたと云われた。
爛熟期 ブラームス以降、いろんな国で、いろんな様式で書かれた。
終焉 あくまでも火星人の耳を対象にしてのことで、悪意でしているのではない。
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