出発地点のすぐ近くにある墨屋さんです。松寿堂とあります。墨の製造は、寒い頃が良いそうで、この4月には、終わっています。日本酒の杜氏と同じですね。二階の格子窓やうだつが煤けて見えるあたりが、いかにも墨屋らしい。
元興寺(がんごうじ)の北門です。こちらからは入ることができません。桜の向こうに、わずかに見えている屋根には、天平の甍が、一部ではありますが、残されています。もちろん本堂は、国宝になっています。
正式には、極楽坊と言って、天平時代の大寺であった元興寺の、僧坊の一つなのです。この時間、訪れる人は、全くといってありません。
このあたりには、浄土宗のお寺がたくさんあります。そしてそこには、お墓がたくさんあります。我が徳島とは、かなり状況が違っています。
そんなお墓の中を、通り抜けしたりしながら、たどり着いたのが、この十輪院。この本堂も国宝です。拝観料400円とありましたが、ここも観光客はいなくて、地元の親娘が遊んでいただけでした。しだれ桜が、ちょうど見頃でした。
寺域には、鎌倉時代の古い石造物が何点か残されています。十輪院は、今回の探検箇所の中では、最遠地点で南東隅にあります。ここで集合指令(昼ご飯を食べに行こう)が発令され、初日の探査は打ち切り。大急ぎで、出発地点へ帰りました。その後は、奈良公園の散策に。
第二日目朝、「お父さんはじゃまだから、どこかへ行って来な」とのありがたいお言葉。前日に推定東半分を歩いたはずなので、西側半分を探査する事にしました。
この町並みは、おおむね碁盤目になっているのですが、微妙にずれていて、見通しが利きません。角角には、標識があって、目標を決めることはできるのですが、初めて足を踏み入れる者にとっては、どちらへいったものやら。
地図を片手に、リュックを背負った老夫婦が、何組も歩いていました。隊長隊員合計一名の探検隊は私だけ。
庚申堂。旧元興寺本堂跡とあります。奈良町とされるあたりはすべて、元興寺のあとにできた町なのでしょう。赤い身代わり猿が、印象的です。向かいのソバ屋さんや、近隣の民家の軒にもぶら下がっています。時間が早かったので、まだ閉まっていました。寺内には、有り難い観音様と不動様がまつられています。御利益があるそうです。合掌。
元興寺塔跡。写真の右手側に、少し高台になって、礎石が残されています。上の庚申堂からはどの方向になっているのでしょうか。ジグザグに歩いたので、方向感覚が無くなってしまいました。
桜が、この日で最後です。折からの風に、花びらがどっと舞散り、闇雲にシャッターを押しました。
どのあたりなのでしょうか。綺麗な町並みです。手入れが行き届いています。
ただの砂糖屋さんです。特に専門店てなわけではないでしょう。玄関先には、先の身代わり猿がぶら下がっていますね。気の利いた構えの喫茶店や、土産物屋さんも所々にありますが、開店していませんでした。
大麻寺で有名な、中将姫の墓(?)がありました。この近くには、姫の誕生寺もあるから、天平時代には、藤原豊成公の邸宅が、このあたりにあったのだろうかなどと想像したりもしました。
今回の探査は、お寺ばかりだったから、次回はお店などにも入ってみましょう。