51人の作曲家によるディアベッリ変奏曲


 ベートーベンの長大な変奏曲として有名であるが、本来は、ピアニストとしてかつ出版業者でもあったアントン・ディアベッリがウィーン在住の作曲家に、自作のワルツを主題とした変奏曲を、各1曲づつ作曲するように依頼したもの。ディアベッリは、M・ハイドンに作曲を学び、J・ハイドンの知遇で、ウィーンでピアノとギターの教師をしてた。室内楽などもあるが、主にピアノソナタやソナチネが練習曲として、愛好されている。ソナチネアルバムに入っていたように、記憶しています。

 TELDECからルドルフ・ブーフビンダーのピアノで、ベートーベン+50人の作曲家の約80の変奏曲が録音されてる。ブーフビンダーは、他にハイドンのピアノソナタ全集などを聴いたのだが、あまり個性的な演奏はしていなくて、インパクトの弱いピアニストだなと感じた。

                            

 ジャッケットの表紙ですが、右端がベートーベン、中央がシューベルト、左はなんとリストなのです。このページを書こうと思ったわけは、この曲が作曲された年(1824年)に、ウィーンにこれだけの作曲家がいて−後世に名前を残した人が少なからずいる−それが1つの目的のために結集したこと、お互い何らかの繋がりがあったということで、作風への影響などもあったと考えてしかるべきである。本来は1曲づつなのに、2人だけが2曲書いている。何か理由があったのだろうか。コーダはチェルニーが付けている。ベートーベンを入れると、51人になってしまうのだが、最初はベートーベンを入れて50人だったと思うのだが、下に書いたような理由でベートーベンをはずして、誰かを入れて50人に数合わせしたと考えらる。それは誰なのか?ちょっとした謎がありますね。

 CDに録音された順に、各作曲家を紹介していきます。日本語表記は、音楽事典を持っていないので、適当に読みました。間違っている可能性の方が高いです。誤りは指摘して下さるようお願いします。外語表記は、PCの関係上、正しく表記できません。ご了承下さい。

CD1
 1−34(1) ルートビッヒ・ヴァン・ベートーベン Lutwig van Beethoben(1770-1827):「ディアベッリの主題による33の変奏曲 作品120」として有名です。ベートーベンはよほどこのテーマが気に入ったのだろう。1曲の依頼なのに、延々と書き続け、長大な変奏曲集にこしらえてしまいました。同じような例が、バッハの「音楽の捧げ物 BWV1079」です。大作曲家という人は、依頼主が意図している以上のことをしてしまうようだ。この曲は有名であるだけに、多くのCDが出ている。

 35 テーマ アントン・ディアベッリ Anton Diabelli(1781-1858)

 36(2) イグナッツ・アズマイヤー Ignaz Assmayer(1790-1862):M・ハイドンに学び、1808年よりザルツブルグのペテロ教会のオルガニストになる。1815年にウィーンに出る。シューベルトの仲間。

 37(3) カール・マリア・フォン・ボックレット Carl Maria von Bockler(1801-1881):シューベルトの友人であり、ヴァイオリニスト兼ピアニスト。

 38(4) レオポルト・ツァペック Leoport Czapek(?):ピアニスト兼作曲家で、ピアノ曲や室内楽や声楽曲を60曲あまり作曲。

 39(5) カール・チェルニー Cal Czerny(1791-1857):ベートーベンの弟子として、そして門下からリストやタールベルクを輩出した、ピアノ教師兼ピアニスト兼作曲家。現在でもピアノ教本に使用されている、チェルニー30番とか40番などで有名。同時に、交響曲や協奏曲、室内楽、ピアノ曲などの初期ロマン派の作曲家でもある。CDは以外と少なくて、交響曲や協奏曲はまだ聴いていない。ピアノと管楽器と弦楽器による室内楽(コンソルティウム・クラシクム MDG)は肩が凝らなくて、私のお気に入り。ピアノソナタの方は、ブルメンタールのピアノ(ET’CETRA)で出ています。ヘクサメロン変奏曲にピクシスとともに参加。

 40(6) ヨーゼフ・チェルニィ Joseph Czerny(1785-1824):楽譜出版社、音楽教師。ベートーベンの甥のカールの教師を、チェルニーより引き継いだ。

 41(7) モーリッツ・コウント・フォン・ディトリヒシュタイン Moriz Count von Dietrichstein(1775-1864):ウィーン宮廷劇場の監督。歌曲とドイツ舞曲をいくつか作曲している。

 42(8) ヨーゼフ・ドレヒスラー Joseph Drechsler(1782-1852):プラハで音楽と法律を学び、1815年にウィーンに移住。オルガニスト、指揮者。

 43(9) エマニュエル・アロイス・フェルスター Emamuel Aloys Forster(1748-1823):ベートーベンの友人で、室内楽を作曲している。

 44(10) フランツ・ヤコブ・フライシュタットラー Franz Jakob Freystadter(1761-1842):1786から87年にモーツァルトに師事。音楽教師としてウィーンに在住。歌曲、ピアノ曲、室内楽を作曲。

CD2
 1(11) ヨハン・バプティスト・ゲンスバッヒャー Johann Baptist Gansbacher(1778-1844):フォーグラーとアルブレヒトベルガーに作曲を学ぶ。音楽教師。

 2(12) ヨ−ゼフ・ゲリネック Josef Gelinek(1758-1825):アルブレヒトベルガーに対位法を学ぶ。音楽教師。何曲かの変奏曲を作曲。

 3(13) アントン・ハルム Anton Halm(1789-1872):ハンガリーで音楽の勉強をし、後にウィーンに移住。何曲かのピアノ小品と室内楽を出版。

 4(14) ヨアヒム・ホフマン Joahim Hoffmann(1788-1856):ピアニスト兼音楽教師。

 5(15) ヨハン・ホルツァルカ Johann Horzalka(1798-1860):モシュレスとフェルスターにピアノと作曲方を学ぶ。1832年よりアン・デア・ウィーンのピアニスト、伴奏者。  

 6(16) ヨゼフ・フグルマン Joseph Huglmann(1768-1839):ピアニスト兼音楽教師としてウィーンに移住。

 7(17) ヨ−ハン・ネポムック・フンメル Johann Nepomuk Hummel(1778-1837):モーツァルトに住み込みでピアノを学び、アルブレヒトベルガーとサリエリから作曲を学ぶ。1804年から11年まで、アイゼンシュタットでハイドンの代理を務める。1816年からはシュツットガツトの宮廷楽長を、1819年からはワイマールで宮廷楽長を務める。ベートーベンとも親交を結び、古典派様式による各ジャンルの曲を残す。昨今、トランペット協奏曲だけが有名なのは、惜しいように思う。室内楽やピアノ曲がぼつぼつ出かかってる程度。

 8(18) アンセルム・ヒュッテンブレンナー Anselm Huttenbrenner(1794-1868):ベートーベンとシューベルトの共通の友人。サリエリに作曲を学ぶ。

 9(19) フレデリック・カルクブレンナー Frederic Kalkbrenner(1785-1849):パリでピアノを学ぶ。ピアニスト兼音楽教師兼作曲家。ドイツ、フランスで活躍。左手の技巧の開発と、ペダル効果の発展に寄与。ショパンも一時、師事した。4曲のピアノ協奏曲、室内楽、ピアノソナタや小品、練習曲など。ディアベッリ変奏協奏曲は、ちょうどウィーンに来たときに作曲。

 10(20) フリードリッヒ・アオグスト・カンネ Friedrich August Kanne(1778-1833):作曲家で詩人でもあった。

 11(21) ヨ−ゼフ・ケルツコフスキー Joseph Kerzkowsky(1791-?):ピアニスト兼作曲家。

 12(22) コンラディン・クロイツァー Conradin Kreuzer(1780-1849):アルブレヒトベルガーに学んだロマン派初期の歌劇作曲家。約40曲の歌劇があるが、「グラナダの夜営」は彼の成功作であり、私も好きな曲でもある。他に、室内楽や合唱曲などを作曲。

 13(23) ハインリッヒ・エデュアルト・ヨーゼフ・バロン・フォン・ランノイ Heinrich Eduart Josef Baron von Lannoy(1787-1853):グラーツとブリュッセルで学び、ウィーンに移住。

 14(24) マークス・ライデスドルフ Marcus Leindesdirf(1878-1840):イグナッツ・ザウアーと共同で音楽出版社を創設。後年、音楽教師として、フローレンスに移住。

 15(25) フランツ・リスト Franz Liszt(1811-1886):リストがディアベッリ変奏曲を作曲したのは、わずか11歳の時である。彼の処女作と言っても良いだろう。先出のチェルニーに師事しているから、ベートーベンから見ると孫弟子にあたる。

 16(26) ヨーゼフ・マイセダー Joseph Mayseder(1898-1863):作曲家兼ヴァイオリニスト。

 17(27) イグナッツ・モシュレス Ignaz Moschles(1894-1870):ボヘミア出身のユダヤ人。アルブレヒトベルガーとサリエリに作曲を学ぶ。ヴィルトーゾとしてヨーロッパ各地を演奏旅行する。8曲のピアノ協奏曲をはじめ、室内楽や、多数のピアノ曲を残す。

 18(28) イグナッツ・フランツ・バロン・フォン・モーゼル Ignaz Franz Baron von Mosel(1791-1844):1812年より、ウィーン楽友協会の定期音楽祭を発起する。

 19、20(29) フランツ・クサーバー・ヴォルフガング・モーツァルト Franz Xaver Wolfgang Mozart(1791-1844):アマデウス・モーツァルトも末子(四男)。彼の生まれた年には父親は死んでいるのだ。彼の教育にはフンメルをはじめ、サリエリ、フォーグラー、アルブレヒトベルガーがあたっている。ピアノ教師兼作曲家で、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト二世を名乗り活躍。2曲のピアノ協奏曲や何曲かの室内楽、ピアノ曲が残されており、CDでかなりな曲を聴くことが出来る。
 
 21(30) ヨーゼフ・パニー Joseph Panny(1794-1838):ヴァイオリニスト兼作曲家。

 22(31) ヒーロニムス・パイヤー Hieronymus Payer(1878-1845):音楽監督。

 23(32) ヨハン・ペーター・ピクシス Johann Peter Pixis(1788-1874):ピアニスト兼作曲家。アルブレヒトベルガーに学ぶ。ピアノ教師として、パリやバーデンバーデンで活躍。歌劇、室内楽、ピアノ曲などを作曲。ヘクサメロン変奏曲にも参加。

 24(33) バーツラフ・プラッキー Vaclav Plachy(1785-1858):キーボードヴィルトーゾ兼音楽教師。1811年より、ピアリステン教会のオルガニスト。多数の作品がディアベッリにより出版されている。

 25、26(34) ゴットフリート・リーガー Gottfried Rieger(1764-1855):音楽教師兼作曲家。ブルノ劇場の指揮者。多くの教会音楽を作曲。

 27(35) フィリップ・ヤコブ・リオッテ Phillip Jakob Riotte(1776-1856):作曲家兼指揮者。ゴータの音楽監督を経て、アン・デア・ウィーンの音楽監督としてウィーンに移住、

 28(36) フランツ・ド・パウラ・ローザー Franz de Paula Roser(1779-1830):作曲家兼指揮者兼テナー歌手。最初モーツァルトに、後にアルブレヒトベルガーに学ぶ。

 29(37) ヨハン・バプティスト・シェンク Johann Baptist Schenk(1753-1836):ヴァーゲンザイルに師事。作曲家兼音楽教師。

 30(38) フランツ・ショーバーレヒナー Franz Schoberlechner(1797-1843):フンメルとフェルスターに学ぶ。ピアニスト兼作曲家。ロシア、ドイツ、イタリーを演奏旅行。

 31(39) フランツ・シューベルト Franz Schubert(1791-1828):「未完成交響曲」「魔王」「ます」などなど・・・・・

 32(40) シモン・ゼヒター Simon Sechter(1788-1867):コジェルフに師事。音楽教師、オルガニスト。ウィーン音楽院の、和声楽の教授で、ブルックナーを教える。

 33(41) ルドルフ大公 Archduke Rudolph of Austria(1788-1831):ベートーベンの友人であり、パトロンでもあり、音楽の弟子でもあった。その作品のいくつかはCDで聴くことが出来る。

 34(42) アッベ・マクシミリアン・シュタットラー Abbe Maximillian Stadler(1748-1833):僧職にあり、作曲家で理論家。モーツァルトとハイドンの共通の友人。モーツァルトの未完の作品のいくつかは、彼によって補筆完成されている。

 35(43) ヨーゼフ・ド・ツァーライ Josephe de Szalay(1800-1860):フンメルの弟子で、キーボードヴィルトーゾ。

 36(44) バーツラフ・ヤン・クルティテル・トマーシェク Vaclav Jan Krtitel Tomasek(1774-1850):最初は、数学・美学・歴史・哲学・法律を学んだが、後年、作曲家・音楽教師として名をあげる。E・ハンスリックの師でもある。交響曲、協奏曲、ピアノ曲などが残されている。

 37(45) ミヒャエル・ウムラオフ Michael Umlauf(1781-1842):ウィーン宮廷楽団のヴァイオリニスト。

 38(46) フリードリッヒ・ディオニス・ウェーバー Friedrich Dionys Weber(1766-1842):フォーゲルに師事。作曲家、台本作家。モシュレスの師でもある。

 39(47) フランツ・ウェーバー Franz Weber(?-1861):ピアニスト兼作曲家。多数のピアノ作品がある。

 40(48) チャールズ・アンゲルス・ド・ウィンクラー Chaeles Angelus de Winkhler(1800?-1845):ピアニスト兼作曲家。ピアノ作品や室内楽は、ディアベッリにより出版された。

 41(49) フランツ・ヴァイス Franz Weiss(1778-1830):シュパンツィッヒ四重奏団のヴィオラ奏者。交響曲や室内楽を残す。

 42(50) ヤン・アオグスト・ヴィタ−セク Jan August Vitasek(1770-1839):コジェルフに師事した、ボヘミアのピアニスト、作曲家、音楽教師。

 43(51) ヤン・バーツラフ・ヴォリーセク Jan Vaclav Vorisek(1791-1825):トマーシェクに師事した、ボヘミアのピアニスト、指揮者、作曲家、。

 44 コーダ カール・チェルニー 



【あとがき】上から、どんどんと書いてきたが、すでに知っている名前が次々と出てきて感心させられる。モーツァルトの関係者では、ヴォルフガングの弟子がフンメルで、彼はその遺児のクサーバーを教えたとか、モーツァルトの遺作を補筆完成させたシュタットラーなど。ベートーベンの関係者では、ルドルフ大公はもちろんだが、シュパンツィッヒSQのヴァイスなど。アルブレヒトベルガーとサリエリ、フォーグラーが教育者として何度も出てくる。コジェルフ・ゼヒター・ブルックナーの師弟関係も、ブルックナーを聴くときの参考にしよう。コジェルフも最近、ボヘミア産の古典派作曲家として再発掘されており、良い音楽作品を残しているので、もっと多くのCDが出ることを期待している。音楽美論や親ブラームス・反ワーグナー/ブルックナーで有名だが、その師がトマーシェクなのは納得できる。カルクブレンナー、ピクシス、モシュレスなどのピアノヴィルトーゾも何人か出てきており、リストにつながるのだ。(00.11.21初稿)

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